ウェイキ島

ウェーク島は、北太平洋南鳥島(マーカス島)の東南東約1,400kmに位置する、アメリカ合衆国の環礁。日本語では「ウェーキ島」とも表記される。

島名は1796年に来航したイギリス人船長ウィリアム・ウェーク (William Wake) の名に由来する。第二次世界大戦下で1941年から1944年にかけて日本軍が占領統治し、名前も「大鳥島」(おおとりしま)に変わった。

水没した死火山の縁に発達したサンゴ礁によって構成される環礁で、3つの島(ウェーク本島 Wake Islet 5.8km2、ウィリクス島 Wilkes Islet 1.0km2、ピール島 Peale Islet 0.8km2)から成り、3.7km2ほどの砂州がある。これらに囲まれた6.0km2ほどの礁湖がある。島の標高は6mほど。日付変更線に東で接するタイムゾーンUTC+12)を取る。

19世紀中盤以降のほとんどをアメリカが統治しているが、第二次世界大戦中は日本軍が占領し、名前も大日本帝国によって大鳥島(おおとりしま)に変わった。

戦後はアメリカ軍が接収して軍事的戦略上の重要な拠点地となっていたが、1975年のベトナム戦争終結と1989年の冷戦の終結以来、戦略上の重要性は薄れている。現在は軍事施設はほぼ撤収されており、住人は空港および港湾などの施設のメンテナンス用の軍人と民間人の約200人となっている。

 

現在

グアムや日本とハワイを結ぶ航空路上にあるため、民間の貨物機や太平洋を横断して引き渡される小型機などの中継地(テクニカルランディング)、軍用機・旅客機の緊急着陸飛行場として使われている。長さ2,438 mと3,047 mの2本の滑走路があったが、その後に施設の建設が行われ、現在は1本のみとなっている。

定期旅客便の就航もなく、港湾施設もないが、避難のための大型船の泊地が設定されている。基本的には空港施設だけの島であり、戦争時の遺構は存在するものの観光施設の類はまったくない。

1999年、日本国内のアメリカ軍施設である相模総合補給廠に、アメリカ軍が使用したポリ塩化ビフェニル (PCB) が保管されていたことが発覚して問題化した。横浜ノースドックから日本国外に運び出されたが、アメリカ本土の港湾で次々と受け入れを拒否されたことから再び日本へ戻され、結局はウェーク島に一時保管されることになった。

 


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